まずは・・・思い出の第一回目のロングツーリングから・・・!
 と、言うのも・・・あまりに昔の事なので・・・もう忘れてしまっている事が多いのです!?

 これ以上、忘れてしまわないうちにページにしようと・・・思ったわけです。ハイ!


登場するのは・・・このバイク!

 YAMAHA TY50 です!!

 2ストローク50ccのバイクです。

 重量71kg 4馬力 1975年製


 第一回のロングツーリングは、1978年の8月。高校3年生の夏休みでした!
 こいつに乗って、飛騨高山を目指したのですが・・・・・

 ま〜〜、知らない事ほど怖いものは無い?!?
 さすが・・・若者!無茶もいいところでしたね!
 
 でも、これが私のバイク人生の出発点、原点ですね!
 ここから、いろんな事が始まったのです!


まず、最初の画像は・・・実は2日目の朝の画像です。
 1日目の画像は、まったく無いのです!?

 何故か・・・・???


 私の実家は、兵庫県宝塚市なのですが・・・そこから飛騨高山へ行くには・・・宝塚から旧国道176号線で池田へ、そこから国道171号線で京都へ、京都から国道1号線で栗東へ、栗東から国道8号線で米原へ、米原から国道21号線で岐阜へ、岐阜から国道156号線で郡上八幡へ、郡上八幡から国道472号線、国道41号線を通って飛騨高山へ行く計画でした。
 総距離400km弱位でしたかね??ですから、時速50kmで走れば8時間ちょっとで行けると思っていたのです!!
 アホですね〜〜!一般道路を走れば、1時間に20〜30km位が「関の山」なのに・・・時速50kmで1時間走れば、本当に50kmを走れると思っていたのです!!それ以前に・・・原付で何故に時速50kmで走るつもりなの???
 実は、この当時・・・原付の法定最高速度が時速30kmだとは、知らなかったんです!!

 実際に走ってみると・・・当然のことながら、そんなに走れません!!
 気持ちは焦れども、距離は走れず・・・気持ちは焦るばかり・・・写真などを撮っている余裕も無く・・・

 結局は、岐阜県の美濃市あたりまでしか走れず・・・長良川の支流のキャンプ場近くの河川敷で野宿するはめになりました。

 この時・・・日が暮れてゆく状態の中で走りながら・・・「帰るべき家が有ると言うことは・・・なんと素晴らしいことなのだ!!??」と思いました!!

 と・・・言う訳で・・・初日から大幅に予定外の状態になりました!!  おかげで、度胸は付きましたが・・・!


2日目からは、こんな山の中をのんびり走りました。


2日目にまず行った所が、ここ・・・郡上八幡城です。

山間の町、「郡上八幡」の小高い山の上にあるお城です。

 昭和になってからの、復興天主なのですが・・・非常に趣がある・・私の好きなお城の一つです。


天守閣からの景色です。


反対側の山から、天守閣の山を望んだところです。


2日目の午前中に飛騨高山へ到着したので、少し東側にある「飛騨大鍾乳洞」へ行きました。

 この「飛騨大鍾乳洞」へ行った時・・その先へ進めば、有名な観光地「上高地」へ行けるし、長野県へ入れると判り、「次に来る時は、必ず長野県まで入るぞ!!」と、思ったものでした。

そして、当初の目的地である飛騨高山にて民宿に泊まり、翌日の朝に有名な「高山の朝市」に行ってきました。

 高山の民宿の朝食に出てきた、「朴葉味噌」が本当に美味しくて・・・
 それ以降は、よくお土産で買いました。 今でも好きですね!

高山の代官所跡です。


こんな所にも行きました。

合掌造りの文化のあるところですので・・・


こんな牧歌的なところばかりでした。


飛騨高山を後にして、福井県の方に向かう途中です。

 こんな山の中の道を福井県方面に向かって走っている途中で、給油の為に入ったガソリンスタンドで私のバイクのナンバープレートを見た50代位の店員のオジサンに「兄ちゃん宝塚から来たんか?わしは昔、逆瀬川に住んどってん!」と言われて驚いた記憶があります!
 インターネットなど無い時代に、宝塚の「逆瀬川」なんて地名を、こんな山奥で聞くとは思いもよりませんでした!!??
 帰り際に「気いつけて行きや〜!」と、関西弁で言ってくれたのも、今考えたら・・・おかしなものですね?   ま〜、こんなちょっとした出会いがあるのもロングツーリングの楽しみです!

少し高い所へ行くと・・・この様な「白樺」の木が見られました。


美濃白鳥近くの、「油坂峠」と言う所です。

 バイクは、ほぼノーマルでしたが、シートは「ツーリング用シート」と言う、普通よりは分厚いシートへ、変更していました。荷台には,家型テント、寝袋、そして鞄を積んでいました。
 燃料タンクの上には、自分で作った「ラジカセ搭載装置」を積んでいました。
 iPodは勿論、ソニーの初代ウォークマンすら無かった時代です。
 ですから、普通の「ラジカセ」を積んで行きました。 直ぐに電池が無くなりましたが・・・

今の様な、耳の中に入る様な小さなイヤホンが無かった時代ですので、この様な昔ながらのイヤホンを2つ繋げて使っていました。
九頭竜ダムの方へ向かう途中です。


 服装は、上下白のトレーニングウエアーを着て行きました。ライディンググローブなど、持ってはいなかったので、軍手をはめて行きました。この時、「カッパ」などの雨具はまったく持って行きませんでした!! 雨が降ったらどうしたのでしょうか? まったく雨が降らなかったので良かったですが・・

 このツーリングまでに何度も毎週のように日帰りツーリングは行っていたので、夏でも長袖の方が疲れないのは体感的に知っていました。(素肌に直接風が当たると、気加熱で体温を奪われ、どんどんと体力を消耗してしまうのです!)ですから、長袖のトレーニングウエアーを着て行ったのですが・・・軍手とトレーニングウエアーの間の、わずか1cm位の幅だけが常に日光にあたり「日焼け」してしまい、帰ってきた時には両腕ともに「日焼けのブレスレット」が出来て腫れあがっていました!

「九頭竜ダム」だったように思います??


最後の夜を過ごした、福井県の高浜海岸です。


こんな所に、キャンプしました。
お盆を過ぎた時期でしたので、海水浴のお客さんも少なかったので、無料で泊まれると思っていたのですが・・・翌日の朝にきっちり、キャンプ料金を取られました・・・


こんな「家型テント」を使っていました。
この当時は、今の様な良いキャンプ用品などは無かったので、大きなテントを持って行きました。
 バイクの荷台も、木枠で大きくしていました。


 この後、半日かけて自宅に戻ったのですが・・・三泊四日で非常に面白かったです。
 原付ででもこんなに走れるとわかって、いろいろな「夢」が広がりましたが・・・
 もっと大きなバイクなら、もっと楽に遠くへ行けるのでは?と、言う思いが広がったのも事実です!

 そう・・・これが、私のバイク人生のすべての始まりだったように思います!


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