第3回目のロング・ツーリング
さて今回は、3回目のロングツーリング・・と、言っても・・・実は「何回目」を判っているのは、
3回目までです。 その後は、回数が多くて何回目か判らなくなっています。
とりあえず、この3回目なのですが・・・この時は、とんでもない走り方をしたのでした?
今回は、「東北」を目指しました! しかし、夏休み(8月に行きました)の都合上、全 行程を走る訳にゆかず、また来るべき「北海道 ツーリング」の下調べとして、名古屋から仙台まで を、フェリーで行ってみました。 これがその時の船ですが、結構大きかったです。 (太平洋沿海フェリーでした。) |
勿論、一人で行ったのですが、フェリーに乗り合 わせたバイク乗りと友達に・・・フェリーを使うと こう言う出会いが結構有ったりもします。 非常に大きな船で快適だったのですが・・・ それは、房総半島を過ぎるまででした! |
房総半島を過ぎて、千葉県沖に出た途端に、 猛烈に揺れ始めました! |
大きな船が、前後左右に大きく揺れたのです! この写真を撮った時は、まだ揺れは小さい方 でした。 この後は、もっと揺れたので船酔いで写真なんか 撮ろうとも思いませんでした。 |
この経験から・・・「北海道はちょっと無理?」と、思いました。
この時の、名古屋〜仙台は22時間だったのですが・・・舞鶴〜苫小牧なら32時間だったのです。
到底我慢出来そうもないな〜と、思ったのです。
翌日に仙台に到着。 フラフラ状態で、蔵王を目指しました。 8月だったのに、すごく寒かった事を 覚えております。 |
8月のことですから、当然に宿泊は「野宿」の予定 だったのですが・・・あまりの寒さに、「これは無理 」と思い・・・通りかかりの宿に宿泊を、お願しまし た。 「蔵王」と言う有名観光地ですから、宿泊出来る 所はたくさん有る?と、思っていたのですが・・・ まったく有りませんでした? なんとか宿泊出来て、凍え死なずにすみました。 |
翌日の朝に、「蔵王のお釜」へ行っています。 実は、行った記憶は無いのですが? フィルムには残っていますので・・・行っているの ですね。 ここは、バイクでは行けないところのはずです。 自分の足で、登って行ったのですね? 覚えてないけれど? |
その後は、何処をどの様に走って行ったのか・・・ 定かな記憶が無いのです・・・山ばっかりでした からね・・・。 |
そして、米沢を通って「会津磐梯山」の方面へ、 行っています。 おそらく、後ろの山が「磐梯山」のはず? |
向こうの方に見えるのが、「猪苗代湖」だと思う のですが・・・何処から撮ったのか判りません? |
その後、南会津から鬼怒川温泉。 そして、日光へと下って来ました。 この間、本当に山の中ばかりでしたね! |
「いろは坂」を上り、「中禅寺湖」へ。 その後も、どんどんと走り・・・ 沼田の街を横切り、長野原から軽井沢方面へ ただただ、走り続けました。 |
何処をどう走ったのかを、ハッキリとは覚えて いないのですが、この様な峠道を幾つも越えて 行きました。 沼田の街を通った時は、夜になっていたのですが 「河岸段丘」の地形の関係からか、街の中に大き な段差が有ったのには驚きました。 |
長野原から軽井沢へ向かう道で、夜になり小雨が 降り始め、朝からほとんど休憩も無しで走り続け ていたので・・・あまりの疲れから、「今日は、この ロッジの軒下で野宿しよう!」と、思って止まった のですが・・・なんと、このロッジは空き家になって いて、しかも鍵が掛かっていなかったので・・・ 雨も降っていたので、勝手に泊まらせていただき ました。 埃だらけでしたが、ソファーもあって快適? に、寝る事が出来ました!? |
翌日は、軽井沢を通り長野へ向かう予定でしたが ・・・せっかく「碓氷峠」へ来たのですから、ちょっと 寄り道を・・・。 碓氷バイパスの料金所です。 |
現在は、「長野新幹線」の開通で信越本線の横川 〜軽井沢間の「鉄道碓氷峠」は無くなってしまいま したが、当時はまだ走っていました。 しかし、それよりももっと古い時代の廃線跡がたく さん有って興味深かったです。 |
ここは有名な撮影スポットですね! 明治時代のレンガ製「めがね橋」と、その向こうに新しい 鉄橋が三つ重なって見える所です。 |
この日は、時間的に少し余裕があったので、もう 一度軽井沢へ戻って・・・凄くレアな場所を発見 したのです。 1955年?に、「浅間高原(火山)レース」が開催 されたコース跡を、発見したのです。 私が持っていた、一番古い地図にだけ載って いたのを探してみたら・・・有ったのです! |
ここがコースです! このコースは、アスファルト舗装されていない オフロード・サーキットだったのです。 この場所を、「伊藤史郎」「鈴木義一」「高橋国光」 らの、黎明期のライダーが疾走して行ったのです ここを発見した時は、感動でしたね! |
軽井沢を後にして、佐久方面から「白樺湖」湖畔 を通り、親戚の別荘がある「車山高原」へ。 夏の休暇を丁度同じ日に、来ていたので・・・ お邪魔することに・・・! 何処だかまったく知らなかったのですが・・・ 運良く車を発見出来たので、訪問する事が出来 ました! |
そこで一泊か二泊させていただいて・・・ 高原の避暑地の生活を楽しんだ後に また走り始めました。 |
ついでだったので、「ヴィーナスライン」を走って 見たのですが・・・通行料金の高かったこと! |
ただ・・・その「ヴィーナスライン」が余計でした? その日の目的地は、「乗鞍スカイライン」だった のですが・・・時間が・・・どんどん過ぎて・・・ その後が、大変な状況になって行きました。 |
「乗鞍スカイライン」は、車で標高2800mまで行 く事が出来る、日本で最も高い所に有るドライブ ウェイでしたが、現在は環境保護の為に一般車 両は通行できません。 ここは、本当に好きな道路だったので何度も行っ ています。 |
「乗鞍スカイライン」へ行くと、私は必ず裏側?の 林道で降りて行きます。 ここには大きな雪渓が有って、真夏でもスキー を楽しんでいる方がたくさんおられます。 左の白い所が、「乗鞍大雪渓」です。 |
ここで記念撮影だったのですが・・・ 顔が・・・写っていないでしょ? いつも一人でツーリングに行っていたので、記念 撮影用に三脚を使っていたのですが・・・この時は 通りがかりの男性が「撮ってあげよう!」と、撮 ってくれたのですが・・・この写真です? 人に任せてはいけません! 自分で撮るべきだっ た・・・ |
この不完全な写真を取ってくれた男性から、「これから、どちらへ行くの?」聞かれたのですが・・・
「特にハッキリとした予定は無いですが、岐阜の方まで・・・」と言うと、「何時間走るつもりだ?」と・・・
確かに、この時点で時刻は夕方4時を過ぎていましたし、岐阜まで山道で200km以上?位はあり
ましたからね・・・しかも、宿泊場所は決まってはいなかったし・・・
乗鞍岳を降りてきて、乗鞍高原へ・・・ | |
その後、この様な山道をどんどん走って行ったの ですが・・・ |
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本当に山ばっかり・・・ 今は、どうか知りませんが・・・ この当時は、この辺りの山道は、いくら走っても 対向車とすれ違う事が無い様なところでしたね? 何かトラブル(故障、転倒etc)、があったら 自分で何とかするしかないのです。勿論、携帯 電話なんか無かった時代ですし、有っても電波が 届くような所かどうか?(今現在も) |
そして、やっと「木曽街道(国道19号線)」へ出た 時には、日が沈んで暗くなっていました。 その中を睡魔に襲われながら・・・淡々と・・・ 走り続けました。 暗くなって、「ピンボケ」の写真ですが・・・ 頭の中も、こんな感じでしたね? |
その後、木曽福島〜中津川と過ぎたぐらいで・・・「もう限界?今日はやめよう」と思ったのですが、中途
半端に街中に入って行ったものですから、野宿するような所も無く・・・とりあえず、岐阜県大垣市内にビ
ジネスホテルを予約して、11時過ぎ位にチェックイン・・・そのまま「バタンキュ」で、眠りにつきました。
翌日は、「もう今日は、無理な走り方はやめよう!」と思い、珍しく名神高速で宝塚まで・・・。
帰って来たのは日曜日だったらしく、「宝塚祭り」 の準備を売布神社ではやっていました。 家に帰る前に神社に来たものですから・・・ その後、地元米谷では・・・私が「北海道」へ行って いたと言う話になっていたそうです。 北海道では、ありません東北です。 と、言っても・・・単に山形から走って来ただけ? みたいでしたが・・・。 |
ま〜こんな感じで、この時のツーリングは非常にハードでした。
実際には、この間に他に野宿した所も有ったのですが・・・覚えておりません。
これ以降は、こんな無茶苦茶なツーリングはやめようと思いましたが・・・?
ただ、今となっては良い思い出です。
若かったんや!