Tokai の Banjo との遭遇

  高校生になると同時にバンジョーを弾き始めたのですが・・・
 それと同時に「勉強」をしなくなりました。中学生の時は、勉強する事が面白かったのですが・・・高校生
 になると、まったく勉強する事が面白くなくなりました?まともに勉強したのは、高校1年の1学期だけで
 したね!その後は、まったく勉強をしなくなりました。テストの時は、「0点」をとるのはさすがに格好悪か
 ったので・・・絶対に出るやろう?という2,3問だけ覚えていた、てな感じでした。ですから、学校での成
 績は最低クラスでした。 でも今現在も不自由なく社会生活を送れていますから、「義務教育」とは大し
 たものやな?と思います。

  そういう訳で、勉強もせずにバンジョーばかり弾いていましたが・・・毎日バンジョーを弾いていると、
 自分の楽器「ピアレス・バンジョー」にだんだんと不満を持つようになりました。

  「アール・スクラッグス」の様な音で弾きたい!

  こう思うと・・・もっと良いバンジョーが欲しい! と、思うようになったのです。
 (当然ですね?ウッドリムもトーンリングも無いバンジョーでは、無理ですよね?)

  それで・・・夏休みの中頃に、新しくバンジョーを購入することにしました。
 今回は、予算10万円ぐらい。と、結構思い切りました!

  「さ〜バンジョーを買いに行くぞ!」と、出かけて行ったのですが・・・この時の事は、良く覚えています。
 この時までに、何処へ行けばバンジョーを売っているかは、「バンジョー・パッケージ」「カントリーウエスタ
 ン」などのマイナー雑誌である程度情報を得る事ができていましたので・・・

 まず、最初に神戸三宮、元町へ行って・・・「ロッコーマン」「国際楽器」「港楽器」と見て回り、その次は阪
 急電車で京都へ行き・・・「ワタナベ楽器」「十字屋」を見て・・・阪急電車で大阪梅田へ戻り、「梅田ナカイ
 楽器」へ、そして地下鉄で心斎橋へ行き「阪根楽器」「三木楽器」「心斎橋ヤマハ」へ・・・ですが、何処へ
 行ってもほとんど同じで、『ブルーベル』と『カスガ』しか置いていなかったのです。 「何かな〜」と、思い
 つつ・・・最後に「ダメ元」で、大阪天王寺の「トミヤ楽器店」へ行ってみたのです。そうすると・・・他の楽器
 店と同じく「ブルーベル」と「カスガ」しか店頭には無く、ガッカリしたのですが・・・本日、最後の楽器店と
 思っていたので、試しに「トーカイのバンジョーは、無いですか?」と、聞いてみたのです。すると・・・

  「あ〜有るよ!」と、言って・・・店の奥の倉庫の方にマスターが入って行ったのです。そして、埃をふき
 ながら出してきてくれたのが、『Tokai』のバンジョーでした!

  見た瞬間に「これや〜!」と、思いました! 自分のイメージにぴったりだったのです。
 何が、「ブルーベル」「カスガ」と違っていたのか? まず、「薄かった」のです。これは、ヘッドを押さえて
 ゆくテンション・フープを支える部品が、「1ピース・フランジ」だったからです。そして、神様「アール・スクラ
 ッグス」のバンジョーと同じです。ただ、その時は部品の違いなどは、まったく知りませんでしたが・・・

  これが、「Tokai」製品との出会いでした。 日付は、1977年8月21日です。
                            (これは、リゾネーターの中に書いてあります。)

 左側が、最初に買った「ピアレス・バンジョー」

 右側が、「Tokai T1200R」です。

 ただし、T1200Rと言っても・・・
 かの有名なT1200Rではなく、それより以前の
 「ハミングバード」時代のT1200Rなのです。
 高校の文化祭の時です。

 この時に、「ブルーグラス」を
 知っているのは、私だけでした。
 仲間に無理やり練習させて、
 即席の「ブルーグラス・バンド」
 を作って演奏しました。
 結構、見た目は様になっているでしょう?

 帽子は、前日に「ボール紙」で作りました。
 思いつきです!
 
 遠くからだと、「ぱっと見」はわからないでしょ?



  音は最高でしたね! 「ピアレス」とは、まったく違いました。 本当に、気に入っていました。毎日、朝か
 ら晩まで弾いていましたね。

  その後、この素晴らしいバンジョーを作った「東海楽器」が『Cat’s Eyes』と言うブランド名のギターも
 作っていることがわかり、だんだんと東海楽器の製品に興味を持っていったのでした。

  ま〜この様な良い楽器を手に入れて、そして翌年には『バイク』に乗る様になったのでますます勉強は
 やらなくなりました。そんな状態で高校3年の進路決定の時期になったものですから・・・当然のこととして
 大学に進学出来るほどの成績でもなし?ましてや、「大学に行ったところで、どうなんねん?」と、思って
 いましたから・・・就職する事にしました。(あの当時は、今と違って高卒就職も結構ありました)
  そのことを担任の先生に相談すると、ま〜喜んでくれましたね?まっ、あの時の成績で「進学します」っ
 て言ったら、先生は困ったやろうね?
 
  それで、就職する事に決めたのは良いが・・・どんな会社へ行く?となって・・・やはり、小さい時から「物
 作り」が好きだったので、物を作る会社にしようと思ったのです。 それだったら、いっそのこと・・・この素
 晴しい楽器を作ってくれた『東海楽器』へ就職しよう! と、思ったのです。

  これが、Tokai バンジョーと東海楽器との出会いでした。

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