現行・青年団で、祭り復活の日 

   現在の「米谷青年団」が創設されたのは、昭和48年(1973年)と聞き及んでおります。

   それより以前にも、勿論のこと米谷地区には青年団は存在したらしいのですが・・・

   残念なことに、昭和44年?(1969年?)位に解散の憂き目をみたらしいのです?

  原因は、定かではありませんが・・・当時の青年団会計?が、団費を持ち逃げしてしまった?
  らしいのです。 昔は全国各地で、その様なことはたくさんあったらしのです。

   ですが・・・米谷においては、この事が原因となって、秋祭りを行なう事が不可能になって
  しまったらしいのです。

   その頃、私は小学校の3年生でした。 2年生の秋祭りまでは、私の住まいする「清荒神地区」
  にも必ず、大きなだんじり(米谷のだんじり)がやって来ていたのですが・・・3年生の秋祭りからは、
  大きなだんじりは来なくなってしまい、清荒神地区の「子供だんじり」だけになってしまいました。

   小学生ですから・・・一番、祭りを楽しみにしていた頃です! 非常に寂しい思いをしましたね?
   毎年、祭りの当日には、米谷地区へだんじりを探しに行ったものでした・・・

   それから4年後・・・深尾 和典氏、古野 一郎氏など、多くの方々のご尽力により、新しく「米谷青年団」
  を結成されて、米谷だんじりが復活をとげました。 一時は、売布神社の境内で焼却処分にしよか?と、
  言う話も出ていたそうです。
   (昭和40年代には、全国で祭りのための「屋台」や「だんじり」が、実際に数多く焼却処分されています)

   と、・・・言うような話を、私は後で聞いたのですが・・・? (当然ですよね?小学生ですから・・・)

   ただ・・・その復活の日の秋祭りは、今でも覚えております!
  私は、中学生になっておりました。 秋祭りの日(10月18、19日)に、学校から自宅へ帰った時でした!
  それまでの数年は、子供だんじりの太鼓の音しか聞こえなかったのに・・・その日は、「大きなだんじり」の
  太鼓の音が聞こえるではありませんか? 急いでカメラを持って、自宅から「有馬街道」へと駆け上って
  行きました! そしたら・・・そこには、本当に久しぶりに見る「米谷だんじり」の姿があったのです!

 これが、その時の写真です!

 この時は、突然の事だったので
 まったく用意が出来ていません
 でした。

 ですから、カメラの中にはフィルム
 が、2枚分しか残っておらず・・・

 撮影出来たのは、2枚だけ!

 しかも、今手元に残っているのは
 この「1枚」だけなのです。

 (どなたか、所持されている方が
  おられましたなら、是非とも
  お貸し願います!)

  久しぶりに見る、「米谷だんじり」は・・・やはり、大きかったです!

 米谷のだんじりが曳行されていなかった間は、我々「清荒神地区」の子供の多くは、同じ小学校区内の
 「川面」の祭りに遊びに行っていた事が多かったです。
 
 しかし、所詮は「よその地区」の祭りです。(今よりも、もっと地元意識が強い時代でしたから)
 川面の祭りに行っても、やはり寂しい思いをしていたのは確かです!

  ですから、この米谷だんじりの復活は・・・本当に嬉しかったです!!!

 さて、この写真を良く見てみると・・・なんとか「復活」させた、と言うところがよ〜くわかります。

 まず・・・服装ですが・・・この当時は、上下を綺麗に揃えるようなことは誰もしていませんでした
 (それをやり始めたのは、我々の年代です)が、「法被(はっぴ)」自体を着ていない人もたくさん
 おられます。また、法被を着ている方も・・・バラバラの法被です。揃っていません。

  そして、だんじり自体は「東だんじり」なのですが・・・提灯(ちょうちん)は、「西」の提灯も混ざっています。
 また、前の「弓張り提灯」もバラバラで・・・しかも14個、偶数です! (基本は、奇数では?)

  まっ、それだけ情熱を持って必死の思いで復活させていただいたと言うことです!

  その後、40年の間に・・・だんじりは、東西二台とも非常に綺麗に生まれ変わり盛大な祭りを行なう事が
 出来ておりますが・・・それらは、ひとえに休止状態から復活へと、御尽力下さった方々があっての事と思い
 ます。
  我々は、この先もこの先人たちの思いを引き継いで行かなければなりません!

  どっこいしょ