我が村・・・米谷の紹介 其の弐

 米谷の紹介・・・其の壱では、主に米谷村の中心を通る『銀座通り』を中心に紹介しましたが・・・今回は、周辺の地区を紹介いたします。

 元々、米谷地区は「有馬街道」を中心として形成された地区だと思うのですが・・・少し北側には、長尾連山の裾沿いに「巡礼街道」と言う古代からの道もあります。
 明治の終わりに「巡礼街道」沿いに、「箕面有馬電気軌道」・・・今の「阪急電鉄」が走り始めて後は、開発の中心は「鉄道沿い」に進む事となり多くの商店や住宅が、電車沿いに発展して行きました。

 祭りとは、人の流れや物の流れと深く関係しておりますので、当然の結果としてそれらの地区も含まれる状態になっていったものと考えられます。

 それでは、まず・・・

 米谷地区のほぼ中心を南北、東西に走る・・・通称「長尾線」と呼ばれる道路があります。

 いつの時代に出来たのかは・・・良く解りません? おそらく近代になってからだとは思いますが・・・どなたかご存知の方は、お教え願います!

 この道路を、東に向かって行くと・・・
 
 中国縦貫自動車道を横切り、「売布住宅」地区へ向かいます。

 このあたりで以前・・・祭りの、ある中心人物の思いつきで・・・「せっかく、だんじりが2台もあるんやから、並べて曳いてみたらどないや?」・・・と、言う意見が飛び出し・・・「面白そうや?やってみようや!」ということで・・・実際にやってみたら、大反響で? 面白かったです!
 残念ながら、諸般の事情で・・・もう出来ないだろうと、思いますが・・・
 中国高速から少し東に来ると、「星の荘」の交差点があります。ここが、だんじり曳行の東の端の一つです。
 「星の荘」交差点を、北へ曲がると「大堀川」沿いの道になります。
 この道を、ズトンと北へ抜ける事が出来たなら・・・運行のルート設定は、かなり楽になるのですが・・・残念ながら、途中にJR福知山線が通っており(しかも踏切が無い)、通り抜けができません。
 仕方が無いので、住宅街の中を西へ入った所に、「売布公園」があります。

 ここも、だんじりの休憩場所の一つです。

 ただ・・・私の両親は、昭和の30年前後に宝塚に移り住んできたのですが、「売布神社から中山寺の間は、何にも無い田んぼばっかりやった!」と言っていましたので、近年になって出来た地区と思えます。
 今一度、中国高速まで戻って・・・高速道路沿いに北上します。
 すると・・・JRの踏切があります。

 画像で見ると、幅が有りそうですが・・・実際には、米谷のだんじりでは・・・左右がギリギリの幅しかありません? 踏切待ちでだんじりが止まると、自転車すら通れません。
 米谷、小浜方面から阪急「売布神社」駅への通り道でもあるので、大変に気を使います?
 そこから、旧176号線へ出て東へ行くと、阪急「売布神社」の駅です。
 今現在は、再開発により駅前にロータリーが出来るなど、以前とはまったく違った街並みになってしまいましたが・・・
 昔は、ちょうどこの歩道の所に、車も通れる道路が有り、今は歩行者と自転車しか通れなくなっている駅のすぐ西側の踏切を渡って、売布神社へ上がって行っていました。
 旧国道176号線をもう少し東へ行くと、大堀川を横切る交差点があります。
 ここが、旧国道の東の端のはずなのですが・・・? 近年は・・・?
 南へ曲がると、大堀川沿いに売布公園の方面につながる道です。踏切が有りませんが・・・。 
 ここもだんじりの休憩地の一つです。
 交差点を東へ少しだけ進むと・・・南側に小さな溝があります。
 実は、この溝こそが・・・米谷地区と中山寺地区の境目らしいのですが・・・・?
 交差点を、北に上がると・・・
 「菰池」と言う、大きなため池があります。
米谷地区の中には、たくさんのため池がありました。今は、少なくなってしまいましたが?

以前は、この池の北側に「松風閣」と言うホテルがありました。小さなホテルだったのですが・・・東海楽器の常務が、浜松からの出張の時に定宿としていた事には驚きました!!!
 菰池のすぐ南側が、阪急「売布神社」駅です。
 北側にある商店街の所も、だんじりの休憩場所です。
 「菰池」の西側に売布神社への登り道があります。
 昔は、こちら側からも上っていましたが・・・
登り口北側に「黙想の家」というキリスト教関係の施設があるのですが、宮入り前には・・・その門の前で休憩をしてから、坂道を上って行くのですが・・・休憩の時には、何本もの一升瓶が逆立ち?(つまりは、ラッパ飲み)していた光景が思い出されます?
たくさんの酔っ払いどもが、だんじりを押して上がった坂道です?
 
 今は、売布神社から東側に降りる時によく通ります。
 坂道を上って行くと、売布神社の参道があります。
 今は、東側にマンションが建ち、開けてしまっていますが、以前は両側が切っ立った崖の様な場所で、宮は上って行く時は・・・それはそれは、迫力のある状態になりました!
 売布神社の参道からは、通常はこちらへ降りて来ます。上る時は、この方向からです。

 この場所からが、曳き手、押し手、鳴り物、すべてが気持ちが最高潮になる所です
参道から続く道は非常に狭く、神経を使う所です。
 すぐに、中国高速の下を通るのですが・・・
反対側から見ると、こんな感じなのですが・・・天井高が低いので、御幣を抜かなければ通れません。また、雨の日はだんじりに雨除けのカッパを着せるので・・・通るラインが悪いと、天井につかえてしまいます。
中国高速沿いに下って行くと、阪急電車の踏切が有り、その先には旧国道があります
旧国道との交差点が、通称「ハリマの交差点」と言われる所です。
 見てのとおり、すぐ横に「ハリマモータース」と言う自動車屋さんが有るのが由来です。

 この交差点は、降りる時は西へも東へも曲がりますが、上る時は西側から曲がる事が多いです。
 その時は・・・だいたい走りながら曲がる事が多いですかね?
売布神社へ上る時は、この方向からです。
今度は、旧国道を西へ・・・清荒神の方へ向かいます。
 以前は、この旧国道をよく通ったのですが・・・現在は、交通量が非常に増えた事により、また、曳き手の考えから・・・あまり通らなくなっています。
 ただし、最後に売布神社へ帰る時は、逆方向から必ず通る事になっています?
旧国道を西へ行くと、清荒神地区への入口があります。 「有馬街道」ですが・・・
 以前は、歩行者が歩いている歩道の所が道路でして、左側にも民家がありました。
 だんじりがギリギリで通れる幅しか無かったので、世話人をする時は非常に神経を使いました。特に夜は、たくさんの人出で足元がまったく見えない中で、目標の無い広い場所でピンポイントでだんじりの向きを変えささないといけないので、難し所でした?
 今は、よく走って曲がってますが・・・?
 有馬街道沿いに、清荒神駅の方へ進みます。駅周辺は、道幅が広くなったのですが・・・この部分だけは、昔のままです。
 幅は狭いし、道は傾いているしで・・・難しい所です。
 ここが阪急「清荒神」の駅です。

清荒神地区へ来た時は、有馬街道沿いの「六軒茶屋」で止まるか、駅前ロータリー(ベガホール前、もしくはコープ前)に止まるかのどちらかですが・・・。
 この清荒神の駅前には、若かりし頃の思い出があります。 それは・・・
 昔は、青年団はだんじりを押す事が多かったのですが、青年団の人数も増えてきた時に世話人さんが、「こっから茶屋所まで、青年団だけで曳いて行け」と、言って下さったのです。みんな大喜びで・・・「行くぞ〜!」と、勢いよく動きだしたのは良かったのですが・・・最初の電柱にぶつけてしまい・・・(以前はもっと狭かったのです)・・・ちょうさい棒の栓を折ってしまい・・・「お前らじゃ、アカン!」と言われて、すぐに交代させられた思い出があります。
 我々が最初に曳いた距離・・・10m位?
 昼に来た時は、この踏切を渡って商店街前まで入ります。
 踏切を渡ってすぐに止める事になるので、以前は踏切手前で休憩していたのですが・・・私はこの駅前で生まれ育ったものですから・・・私が青年団の団長を承った時に、無理を言って渡るようにしてもらったのです。
 と、言っても昔は渡っていたのです。
いつの間にやら、渡らなくなっていたものを復活させただけなのですがね?
 その為だけに阪急電車からは、係りの方に来ていただくのですが・・・有難う御座います。

 これらが、「銀座通り」以外の米谷地区になります。
他にも細々とした所が有るのですが・・・行ったり行かなかったりですが、御紹介した所は必ず行っていますかね?
 最後に紹介した「清荒神」地区が、私が生まれ育った所なのですが・・・実は、米谷地区に入るのですが・・・ちょっと特殊な事情がある所でもあるのです?
 まず、以前は学校の区域が違いました(今でも?)。有馬街道から南側で旧国道までは、宝塚小学校地区なのです。ですから清荒神地区の子供は、隣の「川面」地区の方が友達が多かったりもします。事実、私も米谷青年団に入る前は、川面地区の友達の方が多かったですかね?
 他に、昔は米谷地区と清荒神地区とは・・・まっ、その辺のところは機会があれば、またということで・・・。
 また、お気づきになられた方もあるかもしれませんが・・・米谷地区の中を、阪急電車とJR福知山線が通っているので、だんじりが踏切を渡る機会が非常に多いのです。
 以前は、JRは(国鉄時代)単線のローカル線でしたから、電話で列車に遅れが無いかを確かめる程度で良かったのですが・・・現在は、電化され・・・特にJR東西線が開通してからは、通過本数が格段に増えた為に、場合によったら非常に長い時間の踏切待ちになる事もしばしばです。
 ただし、踏切を渡る時は各鉄道会社の係り員の方の指示に従わなければなりません。
勝手に渡るなんて言語道断です! 幸いにも阪急電鉄の方も、JR西日本ん方も素晴らしい方ばかりで、いつも助かります。特に阪急電鉄の方は、だんじりの運行が遅れていようが嫌な顔一つせずにいつも対応していただけます。

 以前にこんな事がありました! 売布神社に上る最後の踏切で、予定よりもだんじりが早く踏切まで来てしまい、阪急電鉄の係りの方がまだ来られていなかった事がありました。踏切手前でだんじりを止めて、しばらく待っていると・・・宝塚行きの急行電車が踏切で停車するではありませんか?
 何事か?事故でもあったのか?と、思っていると・・・運転席の扉が開き、中から係りの方が降りてくるではありませんか? 「お待たせいたしました!」と・・・いつもは、売布神社駅から歩いて来られるのですが(係りの方は、雲雀ヶ丘花屋敷駅から来られます)、その時はだんじりを止めて待っているという事で、急いで来られたようです。
 
 一同、感動でした! 「さすが阪急さん」!!!
 

 さて、米谷地区はこの様に阪急電車の駅二つに及ぶ広範囲なのですが・・・それが、昨今の人口の急増に伴う他地区からの流入者並びに、通行車両の増加に伴って非常にだんじりの運行が難しくなっている現実があります。特に、阪神大震災以降の道路の整備で、村の中を通行する自動車が非常に多くなりトラブルとなりやすくなっている事は、残念ながら認めざるをおえません。

 しかし、なんとかこの良き祭りの伝統を後世に伝えて行かなければなりません。

 地域の皆様の、ご理解とご協力をお願いするしか御座いません。よろしくお願い申し上げます。


どっこいしょ