我が村・・・米谷の紹介。其の壱

 私の故郷の米谷村を紹介いたします。

 地名の『米谷』は、売布神社に祀られる下照比売神(大国主の姫)が、この地に稲作を
伝えたことより呼ばれるようになったと言う説があります。

 米の谷と書いて『まいたに』と読みます。

 今回は、米谷の中心である「銀座通り」を紹介いたします。

 「米谷」は、宝塚市の米谷、売布、清荒神をを中心に位置する地区です。

 最寄の交通機関は、「阪急電車」の「売布神社」と「清荒神」の駅です。
 それより、南側に通る「有馬街道」を村域の中心にもつ昔からの街です。
西側の隣村、「川面」より村境の「荒神川」を挟んで米谷の西のはずれ「清荒神地区」へ入ります。この道が「有馬街道」です。

 こちら側から見る小高い丘の所を、「東山」という言い方もしたそうです。

 しかし、それは川面地区からの呼び名だそうです。





米谷側から見た、川面です。

川面では「川面街道」もしくは、単に「街道」と呼んでいるようです。







米谷地区へ入ってすぐに、かまどの神様「清荒神」への参道があります。以前は、この狭い四つ角でだんじりの方向変換をやっていました!
 私個人の意見としては・・・ここでだんじりを回したいのですが・・・あまりに危険という事で最近はやっていませんが・・・
清荒神の参道との四つ角を最高所として、米谷方面へ下って行きます。この坂道の上の地域を「六軒茶屋」と呼びます。その昔に、このあたりに茶店があった事からの呼び名だそうです。
このあたりも、阪神大震災の被害が大きく・・・そのおかげで、道幅がずいぶんと広くなりました。震災以前は、この狭い部分が基本の道幅でした。
ここが、米谷のだんじり道中でも一番の難所の一つ、「六軒茶屋の踏切」です。
 狭く、そして地面が斜めに上り下りしています。踏切の中でだんじりの向きを変えようとすると、だんじりが大きく傾き、ひっくり返りそうになります。(今まで何度も、危ない状態になりました。)踏切への入り方で全てが決まってしまうので・・・世話人さんの腕の見せ所です!
国道176号線(我々は旧国道と言っていますが・・・実際には、まだ国道として存在しているそうです。)を通り、JRの踏切を渡って・・・米谷本村へ入ります。
この踏切を渡ると・・・米谷の中心地です。
いきなり道幅が狭くなります。
自動車では、すれ違いが出来る場所が決まっています。
昔で言うところの「西の町」という地域です。
米谷地区のほぼ中央に「JA米谷支店」があります。地元では、勿論今でも「農協」で通っております。
 だんじりの休憩場所であり、集合場所であります。

 JA米谷支店の皆さま、本当にいつもお世話になっております!!! 感謝です!!
有馬街道と長尾線の交差点を過ぎると、「中の町」「東の町」となります。
村の中心地でも、古いお家が無くなり、新しくこの地区に入ってこられた方もおられます。
昔で言うところの「東の町」でしょうか?

 右側に道分かれしている、細い下り坂が「いわし坂」と言われる所です。大昔には、いわしが獲れるような入江だったそうです。
「茶屋所」(ちゃえんじょ、と呼びます)へ向かうところです。右側の白い塀のお屋敷が、「旧和田家住宅」でして、市の文化財に指定されています。米谷村の庄屋にあたるお屋敷です。
ここが、「茶屋所」です。

 名前の由来は・・・良く解りません?

祭りの時は、昔からそう呼ばれています。

茶色の壁のお家のところで、だんじりを方向変換します。
 







 反対側からです。

 結構、狭い所ですが・・・いつもの事なので・・・みんな上手いものです!



ここが米谷の南の境目。「国府橋」です。

 橋から向こう側は、隣村の「小浜」です。













小浜側から見ると、こんな感じです。










間を流れる「大堀川」は、結構深い谷になっております。
 小浜の町域は、「大堀川」などで周りを囲まれていて、さながら城郭のようになっております。「兵庫の城」という本には、お城として紹介されております。

今度は、西へ向かいます。

この道は、有馬温泉へ大坂方面から向かう「有馬街道」なのですが、米谷では「銀座通り」と呼びます。

 何故に「銀座通り」なのか?

今は、この道には何も無いのですが・・・50年ほど前までは、たくさんのお店が並んでいたそうです。
私が、若い頃までも・・・酒屋さん、呉服屋さん、料理屋さん、お菓子屋さん、タバコ屋さんなど何件もお店がありました。
この交差点が、通称「急配の交差点」です。

この右手のお宅が、以前に祭りの役員をしていただいていた方のお宅なのですが、その方の経営されている会社が運送業だったので、この呼び名がつきました。

この交差点は、曲がる時は東から北にしか曲がりません。コース設定上では、使い方が限定される交差点なのです。
北向きに曲がると、ちょっとした坂道になっております。
 通称「急配の坂」です。

そんなにきつい坂道ではないのですが・・・
祭りの道中では結構きつい所です。

逆に、声を大きく出しながら登って行きますから、見ごたえがある所かも?
銀座通りを西に戻ると、農協と茶屋所の間に村の氏神である「売布神社」の石碑があります。
 この道が「宮道」です。

昔はここから「売布神社」へ宮入りしたそうです。
宮道を少し上ると、灯篭があります。

残念ながら現在は、いろいろな理由で通れませんが? (だんじりが大きくなった・・道が狭くなった?)
その、宮道を上って行った所の脇に「米谷会館」があります。
米谷地区の集会所です。

非常に奥まった所なので、地元の人にしか解らない?かもしれません?

ここへも毎年、だんじりは立ち寄ります。
米谷会館のすぐ西側にも、昔からの村域があります。(この道は、宮道です。)
国道176号線から、JRの「宮道」の踏切です。
 こんな状態ですので、現在は通れません!
宮道の西側に、米谷地区の墓地へ向かう「墓道」があります。

 昔からの道です。 (北向き)
南向きです。
結構狭い道ですが、現在は運行ルートによく入ります。
ただし、「西だんじり」でしか通行できません。
(東だんじりでは横幅があり過ぎて通れません)
墓道を南に降りてゆくと、小さな公園があります。
 ここに昔は、だんじり小屋がありました。
 (東西二台のだんじりが入っていました)

今現在は、売布神社の境内にありますが、昔は町内にあったのです。
 それよりもっともっと昔は、東西が別々の場所に小屋があったそうです。
南へつきあたったら、また「銀座通り」です。

 これが我が「米谷」の中心の風景です。

結構に古い歴史のある街でして・・・非常にだんじりが良く似合います!

阪神大震災の時も比較的に被害は大きくなく・・・(少し離れた売布地区や、お隣の川面地区は非常に大きな被害が出ていましたが・・・) 昔からの風情が良く残っております。

 ですから、逆にだんじりの運行には神経を使いますが・・・

電柱ぎりぎりで通して行かなければならない所がたくさんあります。

地元のだんじり関係者には良く解ると思いますが・・・狭い道を、大きなだんじりですいすいと通して行く曳き方は・・・手前味噌ですが、結構に上手いと思います。

是非一度、祭りの時に覗いてやってください!!

(ただし、村中にはまったく駐車場はありません?)


どっこいしょ