米谷 東だんじり

このだんじりが、我が米谷の東だんじりです。
 万延元年の新調と言うことらしいのですが・・・。万延元年と言うと、西暦1860年、かの有名な「桜田門外の変」が、あった年です。明治になる8年前です。
 ちょうど私より100歳年上です!

 大工は、麻野 與助
 彫師は、前田 弥助、前田 徳蔵

宝塚では、最大級の大きさのだんじりです。
見送り幕は「龍虎」です。

 このだんじりは平成七年に、大規模な修理、改修が行われました。
一部の彫り物を除いて、ほぼ新造された様なだんじりです。
その結果、元々大きかっただんじりですが、より一層大きく重たくなってしまい
軽快に曳きまわすには、相当の「技と力」が必要になってしまいました。
 その大きく重たいだんじりを、今の若手は楽々曳いてくれるので・・・
たのもしい限りです!!

 尚、改修以前は下の画像の様なだんじりでした。

ボロボロの状態でしたが・・・本当に楽し
かったですね! この頃は・・・?

 この頃も、重たかったですが・・・?
一日中、曳いていても大丈夫でした!

 若かったのですね!


米谷 西だんじり

こちらが、西だんじりです。

製作年代は、良く判っておりません。
東だんじりより古いのか?新しいのか?

 高欄の彫り物が、東だんじりと同じく「二十四孝」なので江戸時代の作では?と、思われますが・・・

 彫師は、前田 熊蔵であることは、小屋根裏の墨書きから、ハッキリしております。
見送り幕は、こちらも「龍虎」です。
ただし、東だんじりとは龍と虎の位置が
逆になっております。

 こちらのだんじりも、東だんじりに先立って平成五年に大規模な、修理、改修が行われました。
こちらのだんじりは、非常にバランスが良く!曳くのが大変に楽です!
東だんじりと同じ位の大きさなのですが、はるかに楽に曳けます?
他地区への遠征にはこちらのだんじりで行きたい・・・と、言うのが本音ですかね?

 事実、米谷では昔、「青年団は東だんじり、中老は西だんじり」となっていました。
何故か・・・?、青年団は若い勢いで大きく重たい「東だんじり」を曳いて、体力の衰えた?中老は「西だんじり」を好んで曳いたようです。
 彫り物の質などは、東だんじりの方が良いのですが・・・全体のバランスから言うと西だんじりかな?  私も、こちらの西だんじりの方が好きですね!

 ただし・・・青年団には「東だんじり」を曳いてもらいたいですね!

 こちらのだんじりの改修以前は下の画像です。

こちらは、本当にボロボロでしたね!

 それが、修理の後に非常に良いだんじりに生まれ変わりました。

この二台のだんじりが、米谷のだんじりです。
元々は、米谷地区の中心を南北に通る売布神社への「宮道」を境に東西二地区に分かれていたのでしょうが、いつの頃からか「青年団は東だんじり、中老は西だんじり」となったようです。


どっこいしょ