Fiddler に、なるきっかけ・・・1

   6年間勤めた「東海楽器」を退職して、楽器や音楽とは無関係(とりあえず商売として)な
  生活が始まりましたが・・・親からは、「何にもせんで、ブラブラしてたらあかん! 早よ、仕事
  探し!」と、急かされましたが・・・「人生の中で、何にもしないでいる時間があった方がええの
  と、ちゃうの?」と、思っていましたので急ぎはしませんでした。

   事実、私の周りでも・・・高卒で、ズ〜と一生懸命に働き続けている奴よりも、大学行って
  ブラブラしている期間が有った奴の方が、有意義な人生を送っている様に見えたので・・・

   今でも、私はそのように考えます!

   ですが・・・まったく何もしないでいる訳にも行かず、とりあえずは地元で『阪急百貨店』の
  下請け会社で「宅配」のアルバイトを始めました。 荷物を一個届けていくら?と、言うバイト
  でしたが・・・結構、面白いところも多かったです。そのバイトでお金を作っては、1月〜3月
  位にかけて、信州白馬あたりに知り合いをたどって、「居候」同然でスキーにのめり込んで
  いました。こんな生活で2年位過ごした後に、その会社で正社員になって働いたのですが・・・。

   仕事は、キツかったですね! 休日が非常に少ない!

   東海楽器の時は、基本は(本社は)週休二日制でしたから、年間100日を超えるぐらいに
  休日が有ったのですが・・・今度の仕事は、年間休日30日でした!しかも、7,8月と11,12
  月は休日なしで連続40日以上出勤です。その上、一番の繁忙期では朝8時前から夜12時
  を過ぎる事も多かったです。 ですが普段は暇な時間も有りました。しかも、地元ですから仕事
  の途中で寄り道とかも出来ましたから、結構楽しみながら有意義に時間を使っていた様に思い
  ます。

   そんな宅配の仕事の中で・・・運命的?な出会いがあったのです!

   私の担当区域の中にある、マンションへ配達に行った時でした。
  インターホン・ボタンを押すと、「は〜い」と男性の声がして玄関のドアが開いたのですが・・・
  荷物をお渡しして印鑑をもらっていた時に、何の気なしに玄関の様子を見ると・・・明らかに・・・
  「Martin Guitar」のケースと、「マンドリン」らしきケースが置いてあったのです!

   この組み合わせは・・・ブルーグラス関係? と、思ってお伺いしてみたら・・・ヤッパリ、その通り
  でした! マンドリンを弾いてられる方でした。 いろいろと玄関先で、立ち話して帰ったのですが
  その時に私の、住所氏名をお伝えしておきました。

   そして、そのマンドリン・プレイヤーは誰だったのか?

   実は、今現在は「プロ・マンドリン・プレイヤー&エンタティナー」として活躍されている・・・

     『宮崎 勝之』さんだったのです!

 宮崎さんのマンションへ、お荷物を届けた
 事が、その後の人生に変化をもたらした・・・?

  宮崎さんのマンドリン・プレーは、大好きですね!

 フェスの会場でも、宮崎さんが弾き始めると
 すぐに判りますね!

  音の綺麗さは、群を抜いていますからね?

   宮崎さん宅に配達に行ってからしばらくすると、私の家に「BOMサービス」から、ニュース・レター
  が届くようになりました。 宮崎さんが、BOMサービスへ私の住所氏名を伝えておいてくれたような
  のです。

   それを、きっかけに「BOMサービス」へ行くようになりました。

   存在を知ってから10年近く経って、初めて行ってみました! (歩いて行ける距離やったのにね?)

   それからは、毎週行っていました。 私はタバコは吸いません。スナックとかへ飲みに行くのもあまり
  好きではありません。 ですから・・・その当時は、LPレコードが1枚2千円弱(BOMで)でしたから、
  「毎週1枚買っても、一月1万円弱か?」と、思い毎週1枚のペースで買っていましたね?

   そんな感じで、またブルーグラスを聞くようになったのですが・・・なんと、同じ宅配の営業所で学生
  時代にブルーグラスをやっていた!と、言う方がいたのです。それで、懐かしくなって夏の忙しい時期
  に、一緒に宝塚フェスに行ってみたりして・・・だんだんと音楽の世界に接近して行ったのです。

   そうすると、やはり・・・「楽器を弾きたいな〜」と、思うようになって行きました。

  「でも、今度楽器を弾くのなら・・・バンジョー以外の楽器にしよう!」と、思ったのです。 何故なのか?

   実は、私はバンジョー弾きが必ずブチ当たる「壁」を、越える事が出来なかったのです。

   何かと言うと・・・『Any Key OK?』では、なかったのです!

   バンジョーは、「オープンGチューニング」が基本です。ですから、G、A、B、C、等は、「カポタスト」を
  使う事によって演奏出来るのですが・・・その他のKeyになると、まったく弾き方を変える必要があるの
  です。これを、クリア出来たなら、どんなKeyの曲でも弾けるようになるのですが・・・
   私には出来なかったのです。それに、バンジョーではブルーグラス以外の音楽は出来ないし・・・
  と、思ったので、いっそのこと違う楽器を弾こうと思いました。

   それなら、「ヴァイオリン(フィドル)」を弾こう! ヴァイオリンなら、どの様なジャンルの音楽でも演奏
  出来るし・・・?と、思ったのです。

   幸いにして今度も、友人から借りれるヴァイオリンが有ったので、それで弾き始めました。

 これが、その時のヴァイオリンです。

  Suzuki 特1 1964年製

  非常に良い楽器でした。

 1960年代の鈴木ヴァイオリンは、私は好きです。

 非常に良い物が多いのです。

 50年代や70年代よりも良いですね?

   このヴァイオリン(フィドル)を使って、また楽器を弾き始めたのですが・・・

   弾く曲は、やはり「ブルーグラス」からでしたね? ですが、今度は「フィドル・チューン」も多くなりました。
   特に弾きたかったのは・・・バイロン・バーラインが弾く『Sally Goodin』でした!

  それを、目標曲に弾き始めたのですが、やはりなかなか上手くは弾けません? フィドルは演奏の「コツ」
  の様な物がありまして・・・そのあたりが、よく解らなかったので、「試しに、フィドル教室へでも行ってみよう
  か?」と思ったのです。 そこで、行ってみたのが・・・「梅田ナカイ楽器」のフィドル教室でした。 

   その「梅田ナカイ楽器・フィドル教室」で、教えていただく事になったのが・・・

   日本のフィドル界?の重鎮 『平地 澄彦』さんでした。
  

  平地 澄彦さんです。

  平地さんは、40年に渡って「梅田ナカイ楽器」のフィドル教室で
 指導されてこられました。その間に多くのフィドラーを育てて来られ
 ましたが、2007年に「クボタ石綿公害」が原因となる中皮腫の為
 60歳にして亡くなられました。 非常に残念でなりません!

  私が、スローテンポの曲を弾くと・・・弾き方が、結構に影響を
 受けているのが良く解ります!

   平地さんにフィドルを習い始めたのですが、非常に勉強になりました。フィドルは、マンドリンとは違い
  同じ音でも「弓の使い方」によって、音のニュアンスが変わるのです。その辺の「コツ」が、良く解りました。

   そして、私は平地さんの所へ行く前には、ある程度弾けておりました(まったくの初めてではなかった)
  ので・・・結構、気に入っていただけたようで? いろんなところのライブ演奏に、連れて行っていただき
  ました。
   その中のライブハウスの一つに、阪急電車の夙川駅近くの『イエロー・リボン』と言うお店が有ったので
  が・・・そこで、毎週演奏する事になったのです! 『斉藤アキラ』さんのバンドでした。

   「人前で演奏するのなんか、まだ無理やで?」と、思っていたのですが・・・「ま〜、ステージ上で練習して
  行ったらええやんか!」と、言うバンドメンバーの温かい声?に励まされて、毎週演奏していました。
   広い店内にお客さんは3,4人が普通でしたが、バブリーな時代でしたので毎回「ギャラ」もいただいて
  おりました。 しかし、常に・・・「こんな演奏で、お金を貰ってええもんやろか?」とは、思っておりましたが・・・
  今でも「ギャラ」を貰っての演奏は苦手なところがありますね? 勿論、いただけたなら嬉しいですが・・・!
   
   特に先払いで「ギャラ」をいただいたりすると、「○○円分の演奏をしなければならない?」と、思って
  しまうのです。これって結構なプレッシャーになります! (こんな甘い考えだから、私はプロにはなる事は
  できませんね?) 私は、『本当のプロ・ミュージシャン』って・・・ストリート・ミュージシャンの様なかたちでは
  ないのか?と、思っております。 お客さんが演奏を聞いて、気に入ればお金を払う・・・払う金額は、お客
  さんしだい・・・。こんな形が、本来の姿ではないか?と、思うのですが・・・これって、ヤッパリ甘いですね?

   ただ、この時の経験が後々に大きな経験になっている事がわかりました。

   特に、「グルーグラス・バンド」を名乗りながら・・・結局、演奏しているのは「カントリー・ソング」ばかり?
  (良くある事ですね?)だったので、それまで知らなかった「カントリー・ソング」(ハンク・ウイリアムス等)の
  曲を覚えて行けたことは、その後に大変役に立ちました! (曲名は、今でも覚えていませんが・・・)

   こんな状態で、フィドルを弾き始めて間が無い時に、もう人前で演奏するようになっていったのでした。

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